誰か他者に話すか、
それとも文章に書いてみたらわかります。
頭の中で考えていたことが、
表現という経路を経ることによって
より明快になるという事実が。
話すとか書くことが他者への伝達の手段であるとするのは正しいが、
それとても手段の一つにすぎません。
自分自身の考えを明快にするにも
実に有効な「手段」でもあるのですよ。
「ルネサンスとは何であったのか」 より
以前私はSAblogで
「自分の専門分野を素人に理解できるように話す(書く)ことほど、
自分の仕事の理解を深めるのに役立つことはありません。」
と書いたことがあります。
その時はまだ本書は読んでいなかったのですが、
「話すとか書くことが・・・自分自身の考えを明快にするにも実に有効な「手段」でもあるのですよ。」
のフレーズには勇気づけられます。
実はこの一節は
「ルネサンスとは一体全体なんだったのか」
という作中でされた質問の返答の続きです。
前段は下記のとおり
「創造するという行為が理解の「本道(ストラーダ・マエストラ)」であるからですよ。
ダンテも言っています。
考えるだけでは不十分で、
それを口であろうとペンであろうと画筆であろうとノミであろうと
表現して初めて「シェンツァ」になる、と。
イタリア語の「シェンツァ」(Scienza)は英語に訳すと「サイエンス」(Science)ですが、
この場合は「科学」とか「学問」よりも、これらの言語の語源である
ラテン語の「シエンティア」(Scientia)が意味した
「知識」ないし「理解」と考えるほうが適切でしょう。
このダンテが正しいことは、あなたが今考えていることを・・・」
ここで紹介した先の一節に入ります。
さて、ここからは私の解釈ですが
「創造するという行為が理解の本道」
であるならば、
想像力豊かな人はものごとをより深く理解している人であり、
創造できなければ、理解が浅いというこになります。
この解釈は、私の中では、新たな視点です。
人を見る目においても、わが身を振り返るにおいても。